Statement

この劇団は、福島県福島市土湯温泉町にて開催される芸術祭「アラフドアートアニュアルに出品する作品のリサーチを行った際に「かつてこの町の太子堂の裏に五寸釘が突き刺さった藁人形があった」という話を聞いたことをきっかけに立ち上げた、「国際的に活動する架空の藁人形劇団」です。

藁人形の主な目的は好ましくない人間の排除であり、共同体の内部における不和、敵対の象徴と言えます。そういった、敵対性や不和というものは、社会秩序を維持するには都合の悪い物として隠蔽されます。その隠蔽のシステムというのは、福沢諭吉がアメリカ独立宣言からの翻案として書いたと言われている「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」等の、人権といった自由民主主義的な考え方が普及して自然化されたことによるものではないでしょうか。この人権という概念は、人類の多様性を尊重するというよりも、人類の普遍性を追求する傾向が強いために、人類の平等性及び協調性を強いるという矛盾を孕んでいます。

私達が本プロジェクトで題材にしたいのは、人権/平等/協調性という概念が自然化された生活の中で、隠蔽されてはいるものの完全に排除しきれない敵対性です。カール・シュミットは、「政治的現象は、常に敵/味方といいう区分けの可能性を孕んだコンテキストでしか理解出来ない」と述べています。シャンタル・ムフはシュミットのこの視点を取り入れながら、数多くの民主主義論が「合意によって成り立つ社会」を前提にしている事を批判し、民主主義はこの敵対性を前提に考えるべきであることを指摘しました。ムフは、「全人類の平等性は民主主義ではなく、ある種の自由主義である。それは、共同体の形態ではなく、個人主義/人道主義的な倫理である。近代の大衆民主主義は、この二つの混乱の上に成り立っている」とし、シュミットの呼ぶ「隠蔽された政治性」を表面化させながらの共存の可能性を論じました。ただし、このプロセスは、敵対性を浮き彫りにしながら共存するという解決しきれない矛盾を前提としています。そのため、ムフの議論も最終的には「敵対性を認め合いながら共存できる人々」というロジックのうえにしか成立せず、それは彼女自身の批判対象でもある「合意に基づく社会」を前提することとなります。

本プロジェクトは、ムフが抱えた矛盾性に着眼し、民主主義の矛盾の解決をテーマにするのではなく、矛盾性自体をテーマとします。藁人形は、敵対性の極限にある「死」の願いを直接的ではなく間接的に伝達するミディアムであり、ある社会における共通言語です。それは、隠蔽された政治性の完全な表面化ではなく、藁人形の示唆する意味を共有する共同体の中で人々が間接的に読み取る事のできる抽象的な敵対性です。そこで、藁人形というモチーフから、様々な人に「呪いたい存在」についてインタビューし、そのエピソードをもとに全ての登場人物が藁人形で成り立つ藁人形劇を作ることにしました。そこには、敵対性を見据えながらも共存を考えなければならないという矛盾の中で、藁人形が敵対性と協調性の両方にとらわれて生まれる間抜けさがあります。様々なエピソードは極めてミクロな問題ではありますが、ミクロな問題が示すものを丁寧に拾い上げることで私たちの社会の構造を浮かび上がらせ、共に生きるためにできることを考えるきっかけになるのではないでしょうか。

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